参勤交代が、経済・人・物・文化にかくも影響を与えていた背景
有名中学入試問題で発見する「江戸時代の日本」①海陽中等教育学校
■江戸の町の政治的地位低下
“江戸の町の政治的地位が下がった”からです。
なぜなら「幕末、参勤が3年に1度、僅か100日の江戸在府」となったから。
一番のお得意である藩邸が機能しなくなり、江戸の消費経済は即、大打撃を受けたのです。特に御用商人や出入りの職人たちなどには致命傷で、倒産破産・人員整理・転職の嵐となり、人口の半分を占める武家の大半が大名・藩士たちだったため、江戸は火を消したように暗く静かになってしまいました。
そう。参勤交代って「お城がそのまま移動している」んです。大名は江戸藩邸と領国、2つお城を持ってるも同然ですが、移動も「お城ごと」の考え方が面白いですね。ということは、車も機械も無い時代ですもの、「運ぶのはすべからく人の足と手」ですよね?だからあれだけの大人数が必要となるのです。
しかも雇う人足たちは「領国内だけ・領国から江戸までずっと・各宿場でそれぞれ決めた次の宿場まで雇う、江戸に入ってから藩邸まで」、夕方を過ぎたら「割り増し(=深夜料金みたい。当時も今も考えることは一緒だ)」、川止めなどで「数日延びればその分超過料金」、殿様の駕籠を担ぐ人は「身長によって賃金が結構違う」など、その雇い方は千差万別だったため、かかる人件費は江戸参勤も帰国も極めてべらぼうにかかりました。
江戸藩邸は江戸の町の商人職人たちさまさま。大名行列は江戸藩邸に大名がいるからこそ。参勤交代は将軍(幕府)の威光さまさま。
葵の御紋が光り輝く限り、江戸の町の意義があり、経済も人も物も回る。
若者たちを江戸の町(口入れ屋=派遣業者)は救い、武家や大名、商家などの仕事を斡旋する。それによって彼らはお金を得て買い物をし、食事をして暮らし、町にお金が流れる。
大名・武家・商家たちは大工など職人たちがいるからこそ、火事が頻発しても安心(?)して暮らせるし、商家や職人がいるからこそ、その大工たちは道具を買って仕事ができ、お金も得られる。
そして大名・武家たちは、庶民たちにも「お供」という毎日のように発生する行列の仕事を委託することができ、体裁を調えることができ、その人たち全てに間接的&直接的にお金を落とす。
そうやって江戸の町・街道・宿場や農村たちがうまく寄りかかりあって共存して回っていたのが、江戸時代の日本の姿でした。
大名行列、参勤交代が「経済・人・物・文化」に良くも悪くも甚大な影響を与えていたというのは、このような背景・実情があったればこそなのです。